長岡花火には、ほかの花火大会にない決まりがあります。日付が8月2日・3日で固定されていて、曜日に関係なく動きません。
理由は8月1日です。長岡市は長岡まつりを「8月1日の長岡空襲で犠牲になられた方々の慰霊と復興への願いを原点としております」と説明しています。空襲の日の翌日と翌々日に花火を上げる、という構造になっています。
長岡花火の2つの層
長岡花火を説明するとき、2つの話が混ざります。
- 花火大会としての層:正三尺玉(開花直径650m)やフェニックスといった、規模と技術の話
- 慰霊としての層:8月1日の空襲、開幕の白菊、「復興」という言葉
花火としての見どころと、慰霊としての意味は別の層にある
この2つは別の層です。正三尺玉の大きさを語ることと、白菊が何の花火かを語ることは、同じ話ではありません。
公式が前面に出すのは慰霊と復興です。長岡市も長岡花火財団も、そこを原点として説明しています。一方で来場者が最初に驚くのは規模のほうです。どちらも長岡花火ですが、知る順番で見え方が変わります。
原点は8月1日の長岡空襲
長岡まつりが8月1日から3日までの3日間である理由も、花火が2日・3日である理由も、ここにあります。
昭和20年8月1日|新潟県内で唯一の大規模空襲
長岡市の資料によると、長岡空襲は昭和20年8月1日。長岡市は自らを「県内で唯一、大規模空襲の被害にあった長岡市」と記しています。
長岡市は毎年、空襲の史実を伝える取り組みを続けています。2025年に行われたものを挙げると次のとおりです。
- 追慕の集い(6月29日):空襲の犠牲者を偲ぶ
- 長岡空襲の体験を聞く会(7月13日・第2回):長岡戦災資料館で、体験談と紙芝居「思い出の記」
- 殉難者の遺影展、戦災住宅焼失地図展:8月31日まで
- 資料館による犠牲者の写真の提供の呼びかけ
写真を今も集めている、というところに、記録がまだ完成していないことが表れています。
だから花火は8月2日・3日に固定されている
多くの花火大会は「8月第1土曜」のように曜日で決まります。長岡花火は日付で決まります。2027年は8月2日が月曜、3日が火曜で、どちらも平日ですが動きません。
平日でも動かさないのは、8月1日という日からの距離が意味を持っているからです。長岡まつりの3日間は、1日が慰霊、2日・3日が花火という組み立てになっています。
なぜ長岡が空襲を受けたのか
よく聞かれる質問ですが、長岡市の報道発表資料に空襲を受けた理由の記載は見つかりませんでした。確かな理由として示せる資料がない、ということです。
確認先は長岡戦災資料館
経緯を知りたい場合は長岡戦災資料館が確認先になります。市が体験を聞く会や遺影展を開いている場所で、空襲の記録を扱っています。
8月1日には、長岡戦災資料館とアオーレ長岡に献花台が設置されます。戦災資料館では長岡空襲の証言記録映像を終日上映し、中学生の平和標語やポスターも展示されます(2026年)。
白菊|花火師・嘉瀬誠次が名づけた慰霊の花火
長岡花火の開幕を告げるのが白菊です。色をつけない白一色の花火です。
長岡花火財団の資料によると、この白菊は花火師の故・嘉瀬誠次さんが命名したもので、戦争で亡くなった方への慰霊を込めて空に手向けると説明されています。
「手向ける」という言葉が使われているところが重要です。見せるための花火ではないという位置づけです。
19時20分に3発だけ上がる
白菊は打ち上げの冒頭、19時20分に10号玉を3発上がります。所要は1分ほど。
プログラムの先頭にあるということは、遅れて入った人は見られないということでもあります。ほかの演目は21時25分まで続きますが、白菊だけは19時20分を逃すと終わりです。
歴史を知って行くなら、ここが最初の分岐点になります。19時前に席に着いていること。演目ごとの中身は フェニックス・三尺玉・白菊、時刻の並びは 長岡花火のプログラム にまとめました。
中越地震とフェニックスの誕生|2005年
長岡花火の代名詞である復興祈願花火フェニックスは、長岡花火の歴史のなかでは新しい演目です。
2004年10月23日の新潟県中越地震からの復興を願って始まり、長岡花火財団の資料では平成17(2005)年に誕生したとされています。地震の翌年です。観光庁の解説でも2005年から定番の演目になったと説明されています。
打ち上げ時間は約3分間。上に高く上げるのではなく、信濃川の河川敷に沿って横に広がります。NHKは番組紹介で「幅2キロの光のカーテン」としています。
2025年は空襲80年、フェニックス20年が重なった
年の数え方が2つあるので、節目も2つ来ます。
| 起点 | 2025年 |
|---|---|
| 昭和20年(1945年)の長岡空襲 | 80年 |
| 平成17年(2005年)のフェニックス誕生 | 20年 |
長岡花火財団は2025年の大会について、戦争犠牲者への慰霊、復興のシンボルであるフェニックス花火の20年、平和への祈りという3つの思いを込めて打ち上げると案内しました。
2024年は能登の「希空」で観客と合唱した
フェニックスの中身は固定ではありません。長岡花火財団の発表によると、2024年は中越大震災から20年目の節目で、能登の被災地で復興ソングとして親しまれている「希空(まれぞら)」(2015年のNHK朝ドラ主題歌)を使い、会場の観覧者と合唱し、ミュージックスターマインからフェニックス花火へ移る特別バージョンとして打ち上げられました。
通常の曲は平原綾香の「Jupiter」(2003年リリース)です。フェニックスは「その年の復興」に合わせて中身が変わる演目だということです。
8月1日に何が行われているか
花火は2日と3日だけですが、1日にも行事があります。2026年の内容です。
- 平和祈念式典(2026年で12回目):黙とう、長岡空襲に関する講話、非核平和都市宣言の朗読
- 献花台:長岡戦災資料館とアオーレ長岡に設置
- 長岡戦災資料館:長岡空襲の証言記録映像を終日上映、中学生の平和標語やポスターを展示
- 平和祭:市制施行120周年を記念した歌唱、市民参加型ダンス
- 民踊流し:44団体・約3,200人が参加。最後は神輿渡御
式典が2026年で12回目というのは、この形が始まってまだ十数年ということです。慰霊の形も固定ではなく、更新されています。
なぜ「復興」の花火と呼ばれるか
長岡花火には復興が二重になっています。
| 何からの復興か | いつ | 結びついている演目 |
|---|---|---|
| 長岡空襲 | 昭和20年(1945年)8月1日 | 白菊(慰霊) |
| 新潟県中越地震 | 2004年10月23日 | フェニックス(復興祈願) |
60年の間隔をおいて起きた2つの出来事が、それぞれ別の演目として同じ夜のプログラムに入っています。19時20分の白菊が戦争の慰霊、20時45分のフェニックスが地震からの復興。この2つを結ぶのが「復興」という言葉です。
2024年にフェニックスが能登の曲を使ったのは、この枠組みに3つ目の復興を足したということでもあります。
歴史を知ってから見ると何が変わるか
変わるのは19時20分の1分間の意味です。
白菊は色がなく、3発だけで、1分ほどで終わります。規模で言えば、このあとに来る正三尺玉(開花直径650m)や尺玉100連発に遠く及びません。何も知らずに見れば、地味な始まりです。
それが花火師が戦争の犠牲者に手向けるために名づけた花火だと知っていると、同じ1分がまったく違って見えます。
戦災資料館に寄ってから花火を見る
順番を変えるだけでできることがあります。8月1日に長岡戦災資料館へ寄り、2日の花火を見る。
8月1日は長岡戦災資料館で証言記録映像が終日上映され、献花台も設置されます。空襲の記録を見た翌日に白菊を見ると、順番が逆の場合とは別の体験になります。
ただし1日から泊まると3泊必要になります。花火だけなら1日は不要なので、ここは何を目的にするかで決める部分です。宿の取り方は 長岡花火のホテル にまとめました。
年間を通して長岡花火を知りたいなら、道の駅ながおか花火館もあります。1階の展示室は無料で、原寸大の花火玉と打ち上げ筒が見られます(長岡花火ミュージアムと花火館)。
白菊の成り立ちを追った本もあります。花火師がなぜこの花火を上げ続けたのかを知ってから行くと、19時20分の見え方が変わります。
よくある質問
Q. 長岡花火は何年前から行われていますか?
A. 戦後の慰霊と復興を原点とする現在の形については、長岡市が「8月1日の長岡空襲で犠牲になられた方々の慰霊と復興への願いを原点としております」と説明しています。空襲は昭和20年(1945年)8月1日で、2025年が80年の節目でした。開催回数や創始年の数え方は公式サイトの年表で確認してください。
Q. なぜ長岡は空襲を受けたのですか?
A. 長岡市の報道発表資料に理由の記載は見つかりませんでした。長岡市は「県内で唯一、大規模空襲の被害にあった長岡市」としています。経緯は長岡戦災資料館で確認してください。
Q. なぜ長岡花火はすごいと言われるのですか?
A. 1発あたりの規模です。正三尺玉は開いたときの直径650m(観光庁の解説)、フェニックスは約3分間にわたって横に広がり、フィナーレの米百俵花火は尺玉を100発連続で打ち上げます。打ち上げ数では大曲・土浦と横並びで、長岡が突出しているわけではありません(長岡花火大会は何発?)。
Q. 白菊とは何ですか?
A. 開幕を告げる白一色の花火で、19時20分に10号玉を3発上がります。長岡花火財団の資料によると、花火師の故・嘉瀬誠次さんが命名し、戦争で亡くなった方への慰霊を込めて空に手向けるとされています。
Q. フェニックスはいつ始まったのですか?
A. 2004年10月23日の新潟県中越地震からの復興を願って始まり、長岡花火財団の資料では平成17(2005)年に誕生したとされています。2025年で20年を迎えました。
まとめ|歴史の押さえ方
- 長岡まつりの原点は昭和20年8月1日の長岡空襲。だから花火は8月2日・3日で固定されている
- 白菊は花火師の故・嘉瀬誠次さんが名づけた慰霊の花火。19時20分に3発だけ
- フェニックスは2004年の中越地震からの復興祈願で、2005年に誕生した
- 2025年は空襲80年とフェニックス20年が重なった年だった
- 復興が二重になっている。白菊が戦争、フェニックスが地震。2024年は能登の曲を使った
- 空襲を受けた理由は公式資料に記載がない。確認先は長岡戦災資料館
見に行く前に確認すること
- 19時前に席に着く計画になっているか(白菊は19時20分の3発だけ)
- 8月1日の行事に寄るなら、3泊必要になることを織り込んだか
- その年のフェニックスの曲と演出(年によって変わる)
- 長岡戦災資料館の開館時間
日程は 長岡花火大会の日程、1日の民踊流しや屋台は 長岡花火の屋台と持ち物、長岡市内の観光は 長岡観光、全国の花火大会の日程は 花火大会カレンダー も参考にしてください。
この記事の情報は2026年10月18日時点で、長岡市の市長記者会見資料「長岡市長記者会見要旨」(令和8年7月17日)「2025 長岡まつり大花火大会情報」(令和7年7月18日)「2026 長岡まつり大花火大会情報」(令和8年7月17日)「2024 長岡まつり大花火大会情報」(令和6年7月19日)、長岡市の報道発表資料「第2回長岡空襲の体験を聞く会を開催」(令和7年7月3日)、観光庁の多言語解説文データベース、NHKの番組情報を確認したものです。
