祇園祭の山鉾には、16世紀のヨーロッパで織られたタペストリーが掛かっています。京都の町衆の祭に、なぜ外国の織物があるのか——これが「動く美術館」と呼ばれる理由です。
この記事は、八坂神社と京都新聞が公開している情報で裏の取れたことと、公式の資料に記載がないことを分けて書きます。
3分で説明すると
- 山鉾は1962年に重要有形民俗文化財、山鉾行事は1979年に重要無形民俗文化財に指定されている
- 外国製の理由は安土桃山時代の「輸入品の幕類」(文化庁の解説)
- 鯉山の前掛けと見送は16世紀のベルギー製タペストリー。重要文化財に指定されている
- 題材はギリシャの叙事詩の人物と風景
- 鯉山は1992年に約400年ぶりに前掛けを新調した。見送の復元品はその前年
- つまり400年前の織物が、平成まで実際に巡行で使われていた
- 山鉾そのものの題材は日本や中国の故事。飾りだけが外国製という組み合わせになっている
山鉾を飾る懸装品とは
山鉾の四方に掛けられている織物を懸装品(けそうひん)といいます。巡行で見えているのは、山鉾本体ではなくこの織物です。
山鉾そのものが文化財に指定されている
文化庁のデータベースによると、指定は2つに分かれています。
- 「祇園祭山鉾」=重要有形民俗文化財|1962年(昭和37年)5月23日指定。山鉾そのもの
- 「京都祇園祭の山鉾行事」=重要無形民俗文化財|1979年(昭和54年)2月3日指定。行事のほう。保護団体は公益財団法人祇園祭山鉾連合会
ユネスコには2009年に無形文化遺産の代表一覧へ記載され、2016年には「山・鉾・屋台行事」の一つとして再度記載されています。
八坂神社も「動く美術館」と書いている
八坂神社の案内には「山鉾は『動く美術館』と言われており、無形文化遺産にも登録されており」とあります。観光のキャッチコピーではなく、神社自身の説明です。
どこに何が掛かるか
懸装品は掛ける場所で呼び名が変わります。
- 前懸(まえかけ)|進行方向の正面
- 胴懸(どうかけ)|左右の側面
- 見送(みおくり)|後ろ側
巡行で見えるのは主に胴懸
巡行を沿道から見るとき、ほとんどの人が見ているのは胴懸です。正面の前懸を見たいなら、山鉾が向かってくる方向に立つことになります。
16世紀のベルギー製が重要文化財になっている
最も具体的に確認できるのが鯉山(こいやま)です。後祭11基のひとつで、中京区の鯉山町が出します(2026年の巡行順は3番目)。
前掛けと見送は16世紀のベルギー製
京都新聞の山鉾紹介によると、鯉山の前掛けと見送は16世紀のベルギー製タペストリーです。織られてから400年以上たっています。
これらは重要文化財に指定されています。祭の飾りが国の重要文化財になっている——これが「動く美術館」という言葉の中身です。
題材はギリシャの叙事詩
描かれているのは「ギリシャの叙事詩に題材をとった人物や風景」です。京都の祭で、ギリシャの物語が描かれた織物が巡行している、ということになります。
1992年に約400年ぶりに新調された
鯉山保存会は1992年に、約400年ぶりに前掛けを新調しました。見送の復元品はその前年に作られています。
逆にいえば、1991年まで400年前の本物を巡行で使っていたということです。雨の日も風の日も、重要文化財を掛けて町を回っていた計算になります。
なぜ外国の織物が山鉾にあるのか
文化庁の国指定文化財等データベースに、答えになる一文があります。山と鉾が南北朝から室町時代にかけて整えられたあと、安土桃山時代には「輸入品の幕類を掛けまわし」、錺金具や彫り物に贅を尽くすようになった——と書かれています。
安土桃山時代は、日本とヨーロッパが直接つながった時期です。ポルトガル船が来航し、南蛮貿易で海外の品が入ってきていました。鯉山のタペストリーが織られた16世紀と重なります。
京都の町衆は、この時代に交易で入ってきた織物を手に入れ、山鉾の飾りに使いました。八坂神社も祇園祭の歴史について「町衆の努力により山鉾の装飾にも贅を尽くすようになり」と書いています。
贅を尽くした結果が、当時手に入る最も珍しい織物だった——そういう構図です。祭の成り立ちは 祇園祭とは にまとめています。
ペルシャ絨毯についてどこまで確認できるか
「祇園祭の山鉾にはペルシャ絨毯が使われている」という説明をよく見かけます。
ただしどの山鉾のどの懸装品がどこの産地かを、公式にまとめて一覧化した資料は見つかりませんでした。八坂神社の案内にも、宵山ガイドにも記載がありません。
この記事で確実に書けるのは、鯉山の前掛けと見送が16世紀のベルギー製で重要文化財であることまでです。
個別の山鉾の懸装品について知りたい場合の確認先は、各山鉾町の保存会と祇園祭山鉾連合会になります。宵山の期間は各山鉾町で説明が得られることもあります。
山鉾そのものの題材は日本と中国の故事
懸装品が外国製でも、山鉾の題材は日本や中国の物語です。この組み合わせが祇園祭の懸装品を分かりにくくしています。
鯉山|竜門の滝
鯉山の題材は「竜門の滝をのぼる鯉は竜になる」という言い伝えです。木製の鯉が水しぶきを上げる姿が載っています。
つまり鯉山は、中国の故事を題材にした山に、ギリシャの叙事詩を描いたベルギー製タペストリーを掛けていることになります。
蟷螂山|カマキリ
蟷螂山(とうろうやま)の「蟷螂」はカマキリのことです。34基の多くが人物や故事を題材にしているなかで、名前に生き物が入っている数少ない山です。
巡行の順番は毎年7月2日の鬮取式(京都市役所で市長立会のもと各山鉾町がくじを引く)で決まります。順番が固定されている「くじ取らず」の山鉾を除き、何番目に来るかは年によって変わります。蟷螂山は2026年の前祭で10番目でした。巡行の時刻は 祇園祭は何時まで で確認してください。
本物はどこで見られるか
懸装品を近くで見るなら宵山の期間です。
- 前祭の宵山|7月14日〜16日
- 後祭の宵山|7月21日〜23日
山鉾が町内に建っている間は、懸装品を掛けた状態で止まっています。巡行中は動いているので、細部まで見るのは難しいのが実際です。
さらに宵山の期間には屏風祭があり、山鉾町の旧家や老舗が秘蔵の美術品を公開します。山鉾の懸装品と合わせて、町に残る美術品がまとめて見られる数日になります。
後祭の宵山(21〜23日)は歩行者天国も露店もなく、立ち止まって見られます。鯉山は後祭の山鉾なので、見るならこの期間です。宵山の歩き方は 祇園祭の宵山 を見てください。
復元新調という取り組み
鯉山が1992年に前掛けを新調したように、各山鉾町では復元新調が行われています。
400年前の織物を巡行で使い続ければ傷みます。そこで同じ図柄の複製を作って巡行で使い、本物は保存するという形に切り替えていく取り組みです。
巡行で見えているものが複製でも、図柄と技法は本物を写したものです。むしろ、織られた当時に近い状態の色を見られるという見方もできます。
よくある質問
Q. なぜペルシャ絨毯が使われているのですか
16世紀に交易で日本へ入ってきた織物を、京都の町衆が山鉾の飾りに使ったためです。ただしどの山鉾の懸装品がペルシャ製なのかを公式にまとめた資料は見つかりませんでした。確認できたのは、鯉山の前掛けと見送が16世紀のベルギー製で重要文化財であることです。
Q. カマキリが載っている山鉾は何ですか
蟷螂山です。「蟷螂」はカマキリを指します。前祭の山鉾のひとつです。
Q. ピラミッドが描かれている懸装品はありますか
エジプトの景色を描いた懸装品があると説明されることがありますが、どの山鉾のどの面かを示した公式の資料は見つかりませんでした。各山鉾町の保存会にご確認ください。
Q. 海外から見てどう評価されていますか
山鉾行事は1979年に重要無形民俗文化財に指定され、ユネスコにも2009年に記載、2016年に「山・鉾・屋台行事」の一つとして再度記載されています。懸装品のうち重要文化財に指定されているものもあります。
Q. 巡行で本物を見られますか
復元新調が進んでいるので、巡行で掛かっているものが複製の場合があります。山鉾町ごとに状況が違います。
Q. 懸装品を近くで見るにはどうすればいいですか
宵山の期間に山鉾町へ行くことです。後祭の宵山(7月21〜23日)は人出が少なく、立ち止まって見られます。
まとめ|懸装品の見方
- 山鉾の四方の織物が懸装品。前懸・胴懸・見送に分かれる
- 八坂神社自身が山鉾を「動く美術館」と説明している
- 外国製の理由は安土桃山時代の「輸入品の幕類」(文化庁の解説)
- 鯉山の前掛けと見送は16世紀のベルギー製で重要文化財
- 題材はギリシャの叙事詩。山の題材(竜門の滝)とは別の世界
- 1992年に約400年ぶりに新調。それまで本物を巡行で使っていた
- 個別の山鉾の産地は公式の一覧がない。保存会に確認
- 近くで見るなら宵山、特に人出の少ない後祭
山鉾そのものの構造は 山と鉾の違い、日程は 祇園祭の日程 も参考にしてください。
この記事の情報は2026年10月19日時点で、八坂神社の「祇園祭」「神輿・山鉾のご紹介、巡行図」、文化庁の国指定文化財等データベース「京都祇園祭の山鉾行事」、京都新聞の山鉾紹介(鯉山)、祇園祭宵山会議(京都府・京都市・八坂神社・祇園祭協賛会・祇園祭山鉾連合会ほか)の「祇園祭 宵山ガイド(WEB版)2026」を確認したものです。個別の山鉾の懸装品の産地・年代については公開されている一次資料に一覧がないため、確認できた範囲のみを記載しています。
