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京都三大祭のひとつ「葵祭」とは・正式名・名前の由来・見どころ

2026.10.28 読了 10分

葵祭の正式な名前は賀茂祭です。下鴨神社と上賀茂神社の例祭で、毎年5月15日に行われます。

面白いのは「なぜ葵祭と呼ぶのか」に説明が2つあることです。上賀茂神社は神の託宣に置き、京都市観光協会は江戸時代の装飾に置いています。

3分で説明すると

  • 正式名は賀茂祭。下鴨神社(賀茂御祖神社)と上賀茂神社(賀茂別雷神社)の例祭
  • 下鴨神社は始まりを欽明天皇5年(544年)とする。京都市観光協会は「約1500年前」
  • 弘仁10年(819年)に国家的行事となり、文武天皇2年(698年)には見物人の警備命令が出ている
  • 「葵祭」の由来は2通り|上賀茂は降臨時の御神託、京都市観光協会は江戸時代に葵で飾ったから
  • 3度中断している(応仁の乱後約200年/明治4〜16年/昭和18〜27年)
  • 祭儀は宮中の儀・路頭の儀・社頭の儀の3つ。現在は後の2つ

葵祭とは

下鴨神社(賀茂御祖神社)と上賀茂神社(賀茂別雷神社)の例祭です。旧称であり正式名称が賀茂祭です。

性格は勅祭——天皇の使いが派遣される祭です。下鴨神社は葵祭を「三勅祭」(賀茂祭・春日祭・石清水祭)の一つとしています。

平安時代の人にとっては、これが「祭」そのものでした。京都市観光協会はこう書いています。平安中期の貴族のあいだでは、単に「祭り」といえば葵祭を指したと。

『源氏物語』『枕草子』『徒然草』にも登場します。2社の関係は 葵祭と下鴨神社・上賀茂神社 にまとめました。

なぜ「葵祭」と呼ぶのか

ここに2つの説明があります。どちらも公式の記述です。

上賀茂神社|降臨のときの御神託

上賀茂神社は、御神紋である葵(二葉葵)の由来をこう説明しています。

御祭神が降臨した際に「葵を飾って祭るよう」御神託があった——それが御神紋になった、と。あわせて「葵」は神と逢うことを意味するとしています。社殿の金具には葵の文様が施され、北東の杜には二葉葵が群生しています。

京都市観光協会|江戸時代の装飾から

一方、京都市観光協会は江戸時代に置いています。

当日の内裏宸殿の御簾をはじめ、牛車(御所車)、勅使、供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで、すべて葵の葉で飾るようになり、そこから「葵祭」と呼ばれたという説明です。

2つは矛盾しません。葵が神紋である理由と、祭の通称が「葵祭」になった時期は別の話だからです。

いま使われる葵桂(あおいかつら/きっけい)は、桂の小枝に二葉葵を絡ませたものです。葵は毎年、両神社から御所に納められます。

いつから続いているか

ここも出典で書き方が違います。

下鴨神社は「欽明天皇5年(544年)」

下鴨神社は年表の中で、欽明天皇5年(544年)に賀茂祭(葵祭)が始まったと記しています。具体的な年を出しているのはこちらです。

一方、京都市観光協会は「今から約1500年前」「欽明天皇(在位539〜571)の頃」とします。典拠は『賀茂旧記』です。

544年は欽明天皇の在位期間(539〜571)の中にあるので、両者は食い違っているわけではありません。下鴨神社のほうが年を特定している、という違いです。

698年には見物人を警備していた

祭の古さを示すもう1つの記録があります。

下鴨神社によれば、文武天皇2年(698年)の『続日本紀』に葵祭の見物人を警備する命令が出されたという記事があります。

つまり7世紀末にはすでに、警備が必要なほど見物人が集まる祭だったということです。平安遷都(794年)より前の話です。

なぜ始まったのか

始まりの事情は、両社と京都市観光協会が同じ伝承を伝えています。

風雨が続いて五穀が実らなかった。 そこで卜部伊吉若日子が占ったところ、賀茂大神の祟りと判明した——というものです。典拠は『賀茂旧記』です。

そこで行われたのが旧暦4月の中酉の日の祭礼でした。内容が具体的に伝わっています。

  • 馬に鈴をかけた
  • 人は猪頭(ししがしら)をかぶった
  • 駆競(かけくらべ)を行った

つまり天候不順と不作を鎮めるための祭として始まり、そのときから馬が中心にありました。いまも馬36頭が行列に加わり、上賀茂神社では賀茂競馬が5月5日に行われます。

年表で見る変遷

1500年のあいだに3度中断しています。

平安期|国家の行事になった

弘仁10年(819年)、律令制度で最も重要な恒例祭祀(中祀)に準じて行う国家的行事になりました。

この前後に制度が整います。弘仁元年(810年)4月には斎王(賀茂斎院)の制度が設けられ、嵯峨天皇の皇女・有智子内親王が初代となりました。寛治7年(1093年)には賀茂競馬が宮中から神社へ奉納されるようになり、以来続いています。

下鴨神社は平安遷都(794年)以降、山城国一の宮となりました。

応仁の乱以降|約200年の中断

応仁の乱(応仁元年1467年〜文明9年1477年)のあと、行列は約200年途絶えます。京都市観光協会は元禄6年(1693年)までとしています。

この間に斎王の制度も終わっています。建暦2年(1212年)9月4日、礼子内親王の退下をもって、35代・約400年続いた斎王は途絶えました。斎王については 葵祭の斎王代 に詳しく書きました。

江戸期|元禄7年(1694年)に再興

元禄7年(1694年)に祭が再興されます。

そしてこの江戸時代に、御簾から牛車・勅使・衣冠・牛馬まで葵の葉で飾るようになり、「葵祭」という呼び名が定着しました。

明治以降|2度の中断と斎王代の登場

近代にも2度止まっています。

  • 明治4年(1871年)〜明治16年(1883年)
  • 昭和18年(1943年)〜昭和27年(1952年)

戦後の再開から数年後、昭和31年(1956年)に大きな変化がありました。市民から選ばれた「斎王代」を中心とする女人列が加わったのです。建暦2年に斎王が途絶えてから744年後のことでした。

いま行列でいちばん注目される斎王代は、1500年の歴史の中では新しい部分だということになります。

祭の構成

葵祭の祭儀は3つに分かれます。京都市観光協会は「宮中の儀、路頭の儀、社頭の儀の三つ」としています。

宮中の儀|現在は行われていない

宮中で行われた儀式です。現在は行われていません。

路頭の儀|これが「行列」

一般に葵祭といえばこれです。京都御所を10時30分に出て、下鴨神社を経て上賀茂神社へ、約8キロを進みます。

総勢500余名・馬36頭・牛4頭・牛車2基・輿1台。下鴨神社は行列の長さを「およそ1キロメートル」としています。通過時刻は 葵祭2027のルート にまとめました。

社頭の儀|両社で行われる神事

行列が神社に着いてから行われます。勅使が御祭文を奏上し、御幣物を奉納します。御馬の牽き回しと舞人による「東遊(あずまあそび)」も奉納されます。

見物の対象になりやすいのは路頭の儀ですが、祭の本体は社頭の儀です。

京都三大祭の中での位置

葵祭は京都三大祭の一つとされます。あとの2つは祇園祭(7月)と時代祭(10月)です。

ただし表記に揺れがあります。京都市観光協会のページは、ある箇所で「京都三大祭のひとつ」としながら、別の箇所では「京都四大行事」という括りも使っています。下鴨神社は「京都三大祭」の一つとし、あわせて「三勅祭」の一つとしています。

3つを並べると性格の違いが見えます。

葵祭 祇園祭 時代祭
時期 5月15日 7月 10月
起源 約1500年前 平安時代 明治28年(1895年)
装束の時代 平安時代 — 各時代
性格 勅祭(三勅祭の一つ) 町衆の祭 平安神宮の祭

※起源の年号は各祭の公式の記載によります。日程は 祇園祭の日程、時代祭の日程 にまとめています。

葵祭がいちばん古く、唯一の勅祭という位置づけになります。

葵祭は5月15日で固定です。前儀も含めると5月1日から12日まで神事が続きます。歴史をたどって見るなら、前儀から通う日程になります。

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行列に登場する役と意味

行列は本列と斎王代列に分かれます。

本列の中心は近衛使代(勅使代)です。天皇の使いにあたる役で、社頭の儀で御祭文を奏上します。その前後に乗尻(左右各3騎)、検非違使志、検非違使尉、山城使、御幣櫃、内蔵寮史生、馬寮使、牛車、御馬2頭、和琴、舞人6騎、陪従7騎、内蔵使、牽馬が並び、風流傘2基が列の始めと結びに立ちます。

いくつか意味を補うと——検非違使は平安京の警察にあたる役、山城使は国司の代理、御幣櫃は神へ納める幣物を入れる箱です。和琴には「河霧」という銘があります。

斎王代列は命婦(花傘をさしかける)、女嬬、斎王代、騎女6騎、蔵人所陪従、牛車、釆女で構成されます。

本列が先、斎王代列が後ろです。先頭から最後まで通過するのに1時間弱かかります。

よくある質問

Q. 葵祭の読み方は。
A. あおいまつりです。正式名称の賀茂祭はかもまつりと読みます。

Q. いつから続いているのですか。
A. 下鴨神社は欽明天皇5年(544年)に始まったとしています。京都市観光協会は「約1500年前」「欽明天皇(在位539〜571)の頃」とし、典拠を『賀茂旧記』としています。文武天皇2年(698年)には見物人を警備する命令が出た記録があります。

Q. なぜ葵祭と呼ぶのですか。
A. 説明が2つあります。上賀茂神社は御祭神降臨の際に「葵を飾って祭るよう」御神託があったことを御神紋の由来としています。京都市観光協会は江戸時代に御簾から牛車・衣冠・牛馬まですべて葵の葉で飾るようになったためとしています。

Q. コースはどこを通りますか。
A. 京都御所(10:30発)→ 堺町御門 → 丸太町通 → 河原町通 → 下鴨神社(11:40着・14:20発)→ 下鴨本通 → 北大路通 → 賀茂川堤 → 上賀茂神社(15:30着)で、約8キロです。

Q. おすすめのスポットはどこですか。
A. 有料観覧席があるのは京都御苑と下鴨神社参道の2か所です。無料で見るなら賀茂川堤(加茂街道)や上賀茂神社になります。場所ごとの違いは 葵祭はどこで見る? にまとめました。

まとめ|葵祭の歴史

  • 正式名は賀茂祭。下鴨神社と上賀茂神社の例祭で、三勅祭の一つ
  • 始まりは欽明天皇5年(544年)(下鴨神社)。天候不順と不作を鎮めるため
  • 698年には見物人の警備命令、819年に国家的行事に
  • 「葵祭」の由来は上賀茂=御神託/京都市観光協会=江戸時代の装飾の2通り
  • 3度中断(応仁の乱後約200年/明治4〜16年/昭和18〜27年)。元禄7年(1694年)に再興
  • 祭儀は宮中の儀・路頭の儀・社頭の儀。現在は後の2つ
  • 斎王代は昭和31年(1956年)から。斎王が途絶えて744年後の復活

1500年続く祭ですが、見られるのは年に1日です。5月15日は曜日で動かず、雨天なら16日に順延されます。

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→ 葵祭2027のルート|行列の通過時刻と日程・雨天順延
→ 葵祭の斎王代とは|選ばれ方と費用・斎王との違い
→ 葵祭と下鴨神社・上賀茂神社|2社の違い
→ 祇園祭の日程|1か月の行事と見どころ
→ 時代祭の日程|行列の順番と見どころ

この記事の情報は2026年10月24日時点で、下鴨神社「御祭神・歴史・神話」「賀茂祭(葵祭)のご案内」、上賀茂神社「御由緒と御神紋」「賀茂祭」、京都市観光協会の葵祭ページ(「どんな祭?」「行ってみよう!」「深く知る」)を確認したものです。始まりの年と「葵祭」の呼称の由来は出典によって説明が異なるため、どちらも併記しています。

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