奴があっての、僕阿呆連 男踊り/奴凧 糸を引く踊り手にきく、個人技がつなぐ集団の美

徳島の夏は、蒸し暑い。その蒸し暑さの中、八月の本番に向けて六月から毎晩、練習を続けている連がある。阿呆連だ。
数年、この連を見てきた。そのうちに、ひとつの問いがよぎった。連とは、なにでできているのか。
その答えを出すために、連をひとつずつ分解して、そこにいる一人ひとりに目を向けていく。そのひとは、なにでできているのか、と問いながら、ここにあるもの、の本質を解いていく。
今回の一人は、奴凧(やっこ)で、先頭に立って糸を引く踊り手だ。凧のように舞う「奴」がいる。その奴を、豪快に体を揺らして“飛ばして”見せているのが、このひとだ。
阿呆連とは
阿呆連は、徳島市の阿波おどり振興協会に所属する有名連のひとつ。一九四八年に結成された、低く前傾して豪快に舞う「阿呆調」の本家だ。
右肩の破れ傘を目印に、いまは約百四十名で踊り継いでいる。
阿呆連の顔ぶれ
連は、男踊り、女踊り、そして囃子を担う鳴り物でできている。その一角を一役ずつ取り出し、十数名に話を聞いていく。
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今回の記事奴凧(糸引き)先頭で糸を引く、連なる一団
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奴凧とは ― 奴を、大勢で“揚げる”見せ場

奴凧(やっこだこ)は、阿呆連の男踊りの見せ場だ。凧に見立てた舞い手「奴」は、一人。その奴を、糸を引く一団が“揚げる”。
先頭で豪快に体を揺らして糸を引く人がいて、その後ろに、何人もの引き手が連なる。舞う奴と、糸を引く先頭。この二人の掛け合いが決まって、初めて演出が成立する。今回のひとは、その先頭で糸を引く役だ。
本人に、聞く
奴があっての、僕
今で、何年になりますか?
阿呆連に入って、十年。阿波おどり自体は、十八年になります。
奴凧は、舞う奴を、糸を引く一団が揚げる見せ場。その先頭で、豪快に体を揺らし、奴の動きに呼応するのが、このひとだ。先頭で引くことを、どう捉えているのか。
奴があっての僕でも、僕があっての奴なんで。奴と、糸引きの一番先頭は、二人の掛け合い。どっちもしっかり見せて、初めてあの演出が成立する。奴と同等ぐらい、重要なポジションだと思ってます。いかに奴を、飛んで糸がつながったように、奴のように見せられるか。それが、僕の動き一つで変わるんで。奴が飛んだら、自分もついていくし、奴が回ったら、奴を回しているように、自分も動く。
奴に、合わせてるってことですか?
メインはやっぱり奴なんで、奴を引き立たせる。奴がどんな動きをしても、それに対応する。でも——僕が操ってるように見せるように、僕が合わせてる、っていう感じなのかな、と思います。
僕が操ってるように見せるように、僕が合わせてる
中間管理職
前を向いて奴に合わせながら、このひとの後ろには、引き手がずっと連なっている。
僕が一人で勝手に動いても、僕より後ろの引き手が、見えなくなってしまう。目線は奴の方、前を向いてるけど、後ろにも意識して。奴も意識するけど、全体を意識しないと。僕が、中間管理職的な立ち位置でいるのが、大事なのかなと思ってます。
中間管理職的な立ち位置でいるのが、大事
そのなかで、自分の体は、どこを意識してるんですか?
指先ですかね。腕から指先にかけてが、一番意識します。移動の時は、姿勢を低く落として。うまくいったな、と思うのは、奴と僕の動きが、ぴったり噛み合う時。半歩ずれたな、っていう時もあります。後ろの引き手の間隔が広くて、糸が間延びして見える時も、あとから映像で分かる。
あの歓声のために
続けている理由をきくと、話は、阿呆連での最初の夏にさかのぼった。
移ってきた一年目の、お盆。桟敷に入ろうとした瞬間の、歓声が、すごくて。他の連で桟敷に入ったことは、何回もあったんですけど。あの歓声は、今でも忘れられなくて。すんごい鳥肌が立ったのを、覚えてます。その瞬間のために、続けてるのかもしれないです。
すんごい鳥肌が立ったのを、今でも忘れられなくて
あの夏の歓声は、いまもこのひとの中で、鳴りやまない。
今後の自分のお姿というのはどのように見えていますか?
自分が踊れなくなるまで、男踊りをやり続けたい。踊り子として、息を長く続けられるように。それが、長い目で見た時の、自分の考えですね。
このひとは、なにでできてるか

奴凧は、ひとりの奴を、糸を引く一団が揚げる見せ場。その先頭で糸を引くのが、このひとだ。
奴に合わせて動きながら、自分が奴を操っているように見せる。合わせが決まるほど、奴との境目は消えて、ひとつに見える。前の奴も、後ろの引き手も、自分の動きひとつでつないで、ばらばらを、ひとつの見せ場にする。「奴があっての僕でも、僕があっての奴なんで」と、このひとは言う。
つないでいるのは、個と集団だけではない。移ってきた最初の夏、桟敷に入ろうとした瞬間の歓声を、今も忘れられずにいる。あの一瞬の記憶と、まだ見ぬこれからを、同じ手で、たぐり寄せている。
――このひとは、個と、集団を、あの夏の歓声と、これからを――つなぐ力、でできている。
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