10叩けば、10違う阿呆連 竹 ただ一人の打ち手にきく、良し悪しを決めるものさし

徳島の夏は、蒸し暑い。その蒸し暑さの中、八月の本番に向けて六月から毎晩、練習を続けている連がある。阿呆連だ。
数年、この連を見てきた。そのうちに、ひとつの問いがよぎった。連とは、なにでできているのか。
その答えを出すために、連をひとつずつ分解して、そこにいる一人ひとりに目を向けていく。そのひとは、なにでできているのか、と問いながら、ここにあるもの、の本質を解いていく。
今回の一人は、竹の打ち手だ。連にただ一人、乾いた高い音を鳴らす。譜面のない、効果音の一打。その一音を、このひとは毎回、その場の感覚で、自分で決めている。
阿呆連とは
阿呆連は、徳島市の阿波おどり振興協会に所属する有名連のひとつ。一九四八年に結成された、低く前傾して豪快に舞う「阿呆調」の本家だ。
右肩の破れ傘を目印に、いまは約百四十名で踊り継いでいる。
阿呆連の顔ぶれ
連は、男踊り、女踊り、そして囃子を担う鳴り物でできている。その一角を一役ずつ取り出し、十数名に話を聞いていく。今回で、鳴り物の全パートがそろう。
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今回の記事竹正解のない、効果音の一打
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竹とは ― 下駄の音を写す、乾いた高音

竹は、竹でつくられた打楽器だ。叩くと、甲高く乾いた音が出る。締太鼓に近い、高く軽快な刻みを受け持つ。
阿波おどりの鳴り物では、竹は高音側で、リズムに切れ味とアクセントを添える。とりわけ、女踊りの下駄が地を打つ乾いた音を、この一打が写しとる。鉦・三味線・笛・締太鼓・大太鼓という基本の編成に、連の彩りとして加わる音で、阿呆連では連にただ一人だけの鳴り物だ。
本人に、聞く
正解が、ない
竹は、今で何年目になりますか?
十年か、十一年目か……はっきりは覚えてないんやけどね。入って一瞬だけ締太鼓をやったけど、もうほぼ最初から竹。ずっと竹やね。
それだけずっと叩いてきて、こう叩けば正解、っていう形は見えてくるものですか?
この鳴り物は、感覚やね。こういう時にこう叩こう、って僕が思っても、他の人はそう思わんとか。効果音みたいなもんやけん、僕はここがええと思って叩くけど、他の人から見たら、ここじゃなくてこっちの方が良かった、って思うと思うよ。十人おったら、十人とも叩くところが違うと思う。まあ、僕は僕がええと思うところで叩くけどね。
十人おったら、十人とも叩くところが違う
10叩けば、10違う
竹は、鳴り物のなかで連にただ一人。その判断をなぞる相手も、止める人もいない。教わるのは、はじめの型だけだという。
教わったのは、女踊りの下駄に合わせるところぐらい。あとは、自分がいいなと思ったことを取り入れて、叩き方も年々変わってきとるね。同じ一回の演出のなかでも、十回叩いたら、十回とも一緒には、絶対せんと思うよ、僕が。
同じ場面でも、毎回変わるんですね。それは、なんで?
その時、ここを叩こう、って思う。鳴り物との兼ね合いみたいなのも、あるんよね。
一緒の演出を十回叩いても、十回とも一緒は、絶対せん
決めたら、押し切る
その兼ね合いで、叩こうと乗りかけて、うまく入れずに叩けなかった、みたいなことは起きないんですか?
叩けなかったとかはないね。タイミングが、他の鳴り物とぶつかることは、あるっちゃあるけど。でもそれは、ぶつかってしまった、てなるんじゃなくて、“ここは僕が叩く”って決めたところは、わざとぶつけてでも、押し切る。僕は。
“ここは僕が叩く”って決めたら、押し切る
うれしいのは、みんなで
自分ひとりで決める裁量が大きいように感じる鳴り物だが、その決断のすべては、自分のためではなかった。
「うまくいった」と感じるのは、どんな時ですか?
それが、竹一つで良い悪いが決まるんじゃなくてね。鳴り物みんながまとまって、一つになって舞台に取り組めた時。何も言わんでも、みんなが真剣に、一つのことに向かって、息が合う時があるんよ。あれが、僕は一番おもしろい。
何も言わんでも、みんなの息が合う時。あれが、一番おもしろい
自分の竹がどう思われるか、っていうよりは……竹があることで、踊りがちょっとでも良く見えたら、それでええと思うんよ。
このひとは、なにでできてるか

竹は、乾いた高い一打で、鳴り物に切れ味とアクセントを添える。女踊りの下駄の音を、この一音が写しとる。
けれど、この楽器には“正解”がない。大太鼓にも締太鼓にも基本の型があるが、竹は効果音で、どこで鳴らすかに決まった答えがない。だからこのひとは、教わった型のさきを、毎回その場の感覚だけで決めている。十回叩けば、十回とも違う。決めたら、他の鳴り物にぶつけてでも押し切る。正解のない音を、毎回、自分で決めきる。
そうやって一人で決めきる。けれど、その一打の行き先は、自分ではなかった。自分の竹がどう思われるかより、竹があることで、踊りがちょっとでも良く見えればいい。何も言わなくても、鳴り物みんなの息が合う――その一瞬のために、押し切っている。――このひとは、自分で決めて、みんなに返す一打、でできている。
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