祭をしる matsuri

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西馬音内盆踊りはなぜ怖い?全員が顔を隠して踊る理由

2026.10.29 読了 11分

西馬音内(にしもない)盆踊りを「怖い」と検索する人が多いのは、理由がはっきりしています。踊り手が全員、顔を隠しているからです。

しかも隠し方が2種類あります。彦三頭巾(ひこさずきん)と編笠です。この2つは見た目も意味も違い、どちらを被るかで着る衣装まで変わります。

3分で説明すると

  • ★踊り手が全員顔を隠す。これが「怖い」と言われる最大の理由
  • 顔を隠す道具は彦三頭巾と編笠の2つ
  • ★彦三頭巾は目元に穴の開いた袋状の覆面。鉢巻でとめる
  • ★彦三頭巾をするときは藍染めを着る。編笠は端縫い・藍染めのどちらにも合う
  • ★彦三頭巾の由来は羽後町も「定かではない」としている(日除け・虫除けの黒布説と歌舞伎の黒子説)
  • 慶長6年(1601)に滅んだ西馬音内城主一族を偲ぶ「亡者踊り」が合流したという言い伝えがある
  • ★「がんけ」2番の横に1回転する動きは「輪廻転生」を意味するとも言われる
  • 羽後町観光物産協会は観光ガイドブックで「日本三大盆踊りの町」と表現している
  • ★危険な祭ではない。観客が巻き込まれる要素は公式に書かれていない

なぜ「怖い」と言われるのか

全員が顔を隠して踊るからです。

多くの盆踊りでは、踊り手の顔が見えます。西馬音内盆踊りでは見えません。彦三頭巾は目元に穴が開いているだけの黒い覆面、編笠は顔が見えないように目深に被るものです。踊りの輪にいる人全員がそうしています。

さらに、この祭は篝火の灯りだけで進みます。19時30分から22時30分(最終日は23時)という時間帯です。暗い通りで、顔のない人たちが揃った手の動きで踊り続ける——という光景になります。

加えて、祭そのものに「亡者踊り」という呼び名があります。この3つが重なって「怖い」という第一印象が生まれます。

顔を隠す2つの道具

羽後町公式は、2つをはっきり区別して説明しています。

道具 形 合わせる衣装
彦三頭巾 目元に穴の開いた袋状の覆面。頭から被り、鉢巻でとめる ★藍染め
編笠 前後の端が大きく反った形。目深に被り、前後を赤い紐や布でとめる 端縫い・藍染めのどちらにも

彦三頭巾は由来が分かっていない

羽後町は彦三頭巾について「由来は定かではない」と書き、2つの説を並べています。

  • 農作業用の日除け・虫除けの黒布だったという説
  • 歌舞伎の黒子から来たという説

どちらも「亡者」とは関係がありません。怖さを演出するために作られたものだ、という説明は公式に出てきません。ただし羽後町は、彦三頭巾が「亡者踊りとも称される特異な雰囲気を醸し出す」とも書いています。由来はどうあれ、結果として祭の印象を決めている道具だという位置づけです。

編笠は「首すじが美しく見える」ためのもの

編笠の説明は、彦三頭巾とまったく違う方向を向いています。

形は一般的な半月型と異なり、前後の端が大きく反った形。顔が見えないよう目深に被り、笠の前後を赤い紐や布でとめます。そして羽後町は、この被り方について「首すじが美しく見える」と書いています。

つまり編笠のほうは、隠すことで見せるための道具です。怖さの文脈ではなく、美しさの文脈で説明されています。

どちらを被るかで衣装が決まる

★彦三頭巾をするときは藍染めを着用します。編笠は端縫いにも藍染めにも合わせられます。

端縫いは女性専用の衣装で、4〜5種類の絹布を左右対称にパッチワーク状に縫い合わせたもの。藍染めは男女兼用です。この組み合わせの決まりを知っていると、踊りの輪のなかの見え方が整理できます。衣装の詳細は 西馬音内盆踊り会館 で実物が見られます。

なお、どちらを誰が被るか(性別や立場による区別)についての記載は、羽後町のページにありません。

なぜ顔を隠すのか

羽後町観光物産協会の説明は一行です。「踊り上手たちが顔を隠すために用いる」。

理由そのものを断定した記述は、羽後町にも観光物産協会にもありません。あるのは、亡者踊りが合流したという言い伝えと、彦三頭巾の2つの由来説だけです。

ここは他の祭と比べると性格がはっきりします。富山のおわら風の盆も踊り手が編笠を目深に被りますが、あちらは公式が由来を明記しています。「照れや恥ずかしさから人目を忍び、手ぬぐいで顔をかくして踊ったといわれますが、それが編笠に代わったといわれています」——という説明です。西馬音内には、この種の「はっきりした由来」がありません。

「亡者踊り」と呼ばれる理由

西馬音内盆踊りの起源には2つの言い伝えがあります。羽後町は「記録がなく、すべて言い伝えによる」と前置きしたうえで、こう書いています。

  • 正応年間(1288〜93)|修行僧の源親が蔵王権現を勧請し、境内で豊年祈願の踊りを行わせた
  • 慶長6年(1601)|関ヶ原の戦い後に滅んだ西馬音内城主・小野寺一族を偲び、土着した臣下が宝泉寺で行った亡者踊りが、いつからか合流した

「亡者踊り」の呼び名は、この後者から来ています。豊年祈願の踊りと、滅んだ一族を悼む踊りが合わさったものが現在の形だ、という伝承です。

がんけ2番の1回転は「輪廻転生」

踊りの動きにも、その説明が残っています。

★「がんけ」の2番で、輪を描くように横に1回転する動きがあります。これは「輪廻転生」を意味するとも言われ、亡者踊りと称される所以とされている——と羽後町は書いています。

知らずに見れば、ただの回転です。知って見れば、生まれ変わりを表す所作になります。この落差が、この祭の見え方を大きく変えます。

囃子と歌も独特

怖さの印象には、音も効いています。羽後町観光物産協会は、この祭の特徴を「野性的な囃子と、優雅で流れるような上方風の踊りの対照」と表現しています。音と踊りが噛み合っていないのです。

がんけの甚句には哀調がある

がんけでは甚句(じんく)が唄われます。4句で「7、7、7、5」という形式です。羽後町観光物産協会は、がんけについて「亡者踊り」の側面から歌詞や節回しに哀調が漂うとしています。

がんけは踊りの最後を締める演目でもあります。夜が深まるほど、この哀調のほうが前に出てきます。

音頭の地口は風刺も色気もある

一方、音頭で唄われる地口(じぐち)はまったく性格が違います。6句で「8、8、9、8、8、9」の節回し。内容は即興的なものから、農村的な情緒、ユーモア、世相や権力層への風刺まで多彩で、農民特有の素朴な色気を感じさせるものもあると羽後町は書いています。

つまり前半の音頭は、陰気な祭ではありません。地口と甚句の違いは 踊り方と歌詞の記事 にまとめました。

怖いと感じやすいのは後半

時間帯によって印象が変わります。

時間 様子
19:30〜 開始。前半は子どもが中心
21:00以降 大人の踊り手が揃う
22:30(最終日は23:00) 終了。最後はがんけで締める

子どもが踊っている前半を見て「怖い」と思う人はあまりいません。端縫いと藍染め、編笠と彦三頭巾が揃い、篝火だけが光源になる21時以降が、写真で見るあの光景です。日程と時間の詳細は 西馬音内盆踊りの日程 にまとめました。

「怖い」より先に出てくる言葉

公式の説明を読むと、怖さを強調した表現はほとんど出てきません。出てくるのは別の言葉です。

  • 踊りは「優雅で静かな抑揚のある」もの(音頭)
  • 編笠の被り方は「首すじが美しく見える」
  • 囃子と踊りの「対照」が特徴

音頭には、江戸時代に北前船で京都・大阪と結ばれていたため、その文化的影響が考えられているという説明まで付いています。上方の雅な踊りが、秋田の山あいの町に残っているという構図です。

端縫いは「上手と認められて初めて着られる」

端縫い衣装についての羽後町の説明が、この祭の性格をよく表しています。

★踊りが上手になったと家族や周囲に認められて初めて着ることが許される、格式の高い衣装——とされています。さらに旧家など裕福な家柄の人だけが作ることができたとも。

顔を隠していても、着ているもので踊りの格が分かる。顔を隠すことと、腕前を示すことが両立しているのがこの祭です。恐ろしさのための覆面ではありません。

弾圧の歴史は出典で食い違う

「禁止令が出た」という話がよく語られますが、公式の2つのページで記述が分かれます。

出典 記述
羽後町観光物産協会 大正年間に警察当局による弾圧があり一時衰えたが、住民の思いで数年後に元のように盛んになった
羽後町公式(文化・歴史) 弾圧・禁止令についての記載なし

観光物産協会が書いているのは「大正年間」の「警察当局による弾圧」です。時期も主体も、明確に書かれているのはこの1本だけです。

その後の流れは両方に記述があります。昭和10年(1935)に東京の第9回全国郷土舞踊民謡大会へ県の推薦で出場し、これを機に形式が整えられました。昭和20年の敗戦で一度中止され、昭和22年に西馬音内盆踊保存会が結成されています。

日本三大盆踊りの中での位置

羽後町観光物産協会は、観光ガイドブックの表題に「日本三大盆踊りの町」と掲げています。

指定の面でも位置づけははっきりしています。

指定 年
秋田県無形文化財/文化庁の無形の民俗文化財 昭和46年(1971)
★国の重要無形民俗文化財 昭和56年(1981)。盆踊りとして全国初
ユネスコ無形文化遺産「風流踊」 令和4年(2022)

★盆踊りとして全国で最初に国の重要無形民俗文化財に指定されたのが、この祭です。「怖い」で検索されている祭ですが、評価の面ではそういう位置にあります。

よくある質問

なぜ顔を隠すのですか

羽後町観光物産協会は「踊り上手たちが顔を隠すために用いる」と説明しています。彦三頭巾の由来については羽後町が「定かではない」とし、農作業用の日除け・虫除けの黒布説と、歌舞伎の黒子説の2つを挙げています。理由を断定した公式の記述はありません。

日本で一番危険な祭りは何ですか

西馬音内盆踊りは危険な祭ではありません。観客が巻き込まれるような要素についての記述は、羽後町にも観光物産協会にもありません。観客は通り沿いで見るか、有料観覧席に座るかで、踊り手と接触する場面がない構造です。なお、どの祭が最も危険かという順位づけは、公的な出典がありません。

特徴は何ですか

★踊り手が全員顔を隠すことと、★野性的な囃子と優雅な踊りの対照です。加えて、女性専用の端縫いという衣装があり、踊りが上手と認められて初めて着られるという決まりがあります。囃子は寄せ太鼓に始まり、寄せ太鼓で終わります。

おわら風の盆踊りは怖いですか

富山のおわら風の盆も踊り手が編笠を目深に被りますが、由来の説明が違います。おわらは公式が「照れや恥ずかしさから人目を忍び、手ぬぐいで顔をかくして踊った」のが編笠に変わったとしており、亡者や供養とは結びついていません。西馬音内のほうが「亡者踊り」という呼び名と彦三頭巾の黒い覆面があるぶん、印象は強くなります。

彦三頭巾と編笠はどう違いますか

彦三頭巾は目元に穴の開いた袋状の覆面で、鉢巻でとめ、藍染めと合わせます。編笠は前後の端が大きく反った笠で、目深に被って前後を赤い紐や布でとめ、端縫い・藍染めのどちらにも合わせられます。

実物はどこで見られますか

西馬音内盆踊り会館です。全館無料で、100年を超える歴史を持つ端縫い衣装や、縦5m×横7mの藍染めの壁掛けなどが展示されています。詳しくは 西馬音内盆踊り会館 にまとめました。

まとめ|怖いと言われる理由

  • ★踊り手が全員顔を隠す。篝火だけの暗い通りで、21時以降に大人が揃う
  • 顔を隠す道具は彦三頭巾と編笠の2つ
  • ★彦三頭巾=目元に穴の開いた袋状の覆面+鉢巻。藍染めと合わせる
  • ★編笠=前後が大きく反った形。目深に被り、赤い紐や布でとめる。「首すじが美しく見える」
  • ★彦三頭巾の由来は「定かではない」(日除け・虫除けの黒布説/歌舞伎の黒子説)
  • 慶長6年の亡者踊りが合流したという言い伝えが「亡者踊り」の呼び名の元
  • ★がんけ2番の横1回転は「輪廻転生」を意味するとも言われる
  • 音頭の地口は風刺も色気もある6句、がんけの甚句は哀調のある4句
  • ★端縫いは上手と認められて初めて着られる格式の高い衣装(女性専用)
  • 大正年間の警察当局による弾圧は観光物産協会に記述があり、羽後町公式にはない
  • ★盆踊りとして全国初の国の重要無形民俗文化財(昭和56年)

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→ 日程と時間/盆踊り会館/踊り方と歌詞/おわら風の盆との違い

この記事の情報は2026年10月26日時点のもので、2026年の西馬音内盆踊り(8月16〜18日)の終了後に書いたものです。羽後町公式の「西馬音内盆踊りの文化・歴史」「西馬音内盆踊り会館」「西馬音内盆踊りの歌詞」と、羽後町観光物産協会の「西馬音内盆踊り」(概要)「【令和8年】西馬音内盆踊り開催情報」を確認しました。彦三頭巾と編笠を誰が被るかの区別、顔を隠す理由を断定した記述は、どちらのサイトにもありませんでした。大正年間の弾圧については観光物産協会に記述があり、羽後町公式の文化・歴史のページにはありません。おわら風の盆の編笠の由来は、越中八尾観光協会の記述によります。

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